「好み」の問題2


「好み」が人生の相当量のリソースを消費するのがまず問題なのだが、そもそも自由意志で「好み」をいかようにでも設定できるという思い込みが幻想だ。

実際には、垂直世界のある階層に捕らわれ、そこで手の届く「つまらないこと」を反復的・継続的にやり続けることに大半の時間が使われ、貴重な人生が消費される。

そうだとすると、「何を好むかが重要だ」などと云ってみても、そもそも「何を好むか」自由に選択できない。


この「好み」の問題には、「好む」と「好まない」が対称になっている。また、好むかどうかはともかくとして、すべきことという軸もある。健康になるためにすべきこと、仕事で成果を出すためにすべきこと。それを「必要」と言い換えれば、「必要」「不必要」が対称になっている。

まず、「好まないし、必要でもないこと」(IV)は、やらないしやる必要もないので放置しておいて良い。「好むし、必要なこと」(II)は、すべきことを積極的に実行しているのだから何の問題もない。

問題は

・「好まないけれど、やるべきこと」(I)

・「好むけれど、やらない方が良いこと」(III)

の二つである。

休みの日に何をするか、のような話であればまだしも、生活習慣だったり、勉強だったり、仕事だったりすると、(I)と(III)の扱いで大きな差が出る。

毎日、オメガ3系の油(アマニ油・えごま油)やリンゴ酢を摂るとか、1日8,000歩程度散歩するとか、苦手教科をもっと勉強するとか、顧客のクレーム対応のようなストレスのかかるコミュニケーションや営業的な工夫、アイディアを出して実行しては軌道修正すること、そういうことは、「好まないけれど必要なこと」(I)であり、そこをどれだけやるかが、その後の人生の行方を決定づける。


ビジネスでいうと、ほぼすべてのチャンスはコミュニケーションから生まれ、ほぼすべてのリスクはコミュニケーションによって回避されるのだが、コミュニケーションは「好まれない」。

・コミュニケーション本体(I)

・コミュニケーション準備、というかその周辺(III)

とすれば、1:9くらいの割合で、コミュニケーション準備、というかその周辺(III)に時間の大部分が費やされる。

新規開拓であれば、アポイントを取る会社のHPを10分調べて、実際に電話している時間が30秒なら、コミュニケーション本体(I)は5%、準備、その周辺(III)は95%である。

コミュニケーションの比率が小さければ小さいほど、チャンスは生まれない。リスクの回避もできない。

仕事の成果は出ない。

今月はもっと多くのチャンスを作りたい!と意気込みを発表しても、「大好きな非コミュニケーション業務」の95%という割合は変わらない。

別な結果を求めるが、別の行動は行わない。

「好まないけれど必要なこと」(I)は様々な理由が付いて後回しになり、結局それを実行しない。

一方、やる必要はないけれどやり易くて好ましい仕事(っぽいこと)を優先して実行し、気が付けば一日が終わる。


・頭を使って考える(I)

・同じ動作を作業的に反復する(III)


・工夫し、改善する(I)

・そこに書いてあるものをただ読み上げる(III)


・導入によってもたらされる相手側のメリットを伝える(I)

・たんにサービスの方法論と仕様説明だけをする(III)


・相手を理解したうえで提案書を書く(I)

・汎用的な資料をプリントアウトして持参する(III)


・自分で調べてみて内容を理解する(I)

・すぐに誰かに聞いて、解決を丸投げする(III)


・説得するための資料を自分で作る(I)

・作ってもらった資料を鞄に入れて、車を運転して運ぶ(III)


・問い合わせに対する回答を作成する(I)

・作ってもらった回答を「転送」する(III)


・躊躇せずにどんどん電話する(I)

・ホームペーシばかりを調べて、なかなか電話しない(III)


・相手によって工夫し、やり方を変える(I)

・誰であろうと、同じスクリプトを繰り返し読む(III)


・目的にフォーカスし、結果に執着する(I)

・自分のターンが終われば、後は知らない(III)


・実際に反省して、改善する(I)

・反省を装い、同じことを繰り返す(III)


・結果をストレートに報告する(I)

・なぜそうなったかの理由をとにかく言いたがる(III)


仕事で成果を出すために実行すべきことは、下記のようなイメージではないか。


仕事の中心を(I)に置き、ほぼほぼ(I)だけをやる、(II)は最低限行う程度の意識。どうせ「好きなこと」はほっといてもやってしまうから。そして(III)は絶対やらない。極力避ける。フライドポテトを食べてはいけないのと同じ。

でも実際は、多くの人が(III)を中心に仕事をしている。

というか、そもそも何が「必要なこと」なのかについて、分かっておらず、分かろうともしない。

たとえそれが「不必要なこと」であっても、簡単でやり易く、ストレスもプレッシャーもなく、厳しいコミュニケーションも必要ない、楽な仕事(っぽいこと)が「好み」なのだ。

それで毎月給与がもらえるなら幸せだし、むしろ会社のパフォーマンスを上げるために(III)から(I)へのシフトを試みると、自分の“既得権益が侵害される”となって、猛反発したりする。

こういう社員を何人も抱えて、浮力を失った中小企業はいつまでも上昇できず、厳しい荒波に喘いでいる。

HbA1c(ヘモグロビンA1c)が8.0を超えているのに、毎日清涼飲料水を飲み続ける人のような状況だ。


馬鹿がつまらないことを好んで、本人の貴重な人生が無駄に費やされるだけならまだしも、その巻き添えを食らって、ほかの人の足を引っ張ったり、会社全体が沈んで行ったりするなら、それは看過できない。

個人のレベルにおいても法人のレベルにおいても、より豊かで、健康で、充実した未来に至るかどうか、「好み」の問題はカギを握っている。

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