「次の文章」と「後の問い」


「次の文章」はやや比ゆ的な意味で使っている。

我々は、昔から様々な「次の文章」に出会い、戸惑い、向き合い、回避し、協調し、闘争し、共感し、解決し、無視し、やり過ごしてきた。

様々な人物に出会うし、様々な社会に属するし、様々な価値観や問題や考え方に触れながら生きていく。それらに対してどのように受け止め、どのように理解し、どんな意見を持ち、どのように振舞うのか。

個人も企業も国も社会も思想も宗教も政治も科学技術も、すべてが「次の文章」であり、それらに対する振舞や対応を行うということは、「後の問い」に答えることに等しい。

相手をよく理解しないまま態度を決めるのは、「次の文章」を読まないで後の問いに回答することだ。

 

そんなふうに考えてみると、ぼくの人生はあまりにも「次の文章」を読んでこなかったのではないか。

候補者を理解しないまま投票先を決め、顧客を理解しないままサービスや商品を提案し、子供を理解しないまま教育を行い、家族を理解しないまま別れのときがくる。

 

ぼくの行ってきた振舞や対応が、後の問いの正解だったとはとても思えない。正しい回答ではなかった理由ははっきりしている。

「次の文章」を読んで、理解しなかったからだ。

 

 


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