A:理解
B:記憶
C:解決
という3つのフィールドは、お互いに影響を与え合う関係にあり、独立しているわけではない。
この中のどれか一つを熱心に行えば良いというものでもなく、問題を解く(C)→解説を読んで理解する(A)→知らなかったことを暗記する(B)→また問題を解く(C)・・・のようにドライブさせるのが良い。
(模擬試験など)同じ素材を1周(C→A→B)するより2週(C→A→B→C→A→B)した方が良いし、3週(C→A→B→C→A→B→C→A→B)すればもっと良い。
ところが、ここで問題が発生する。
どんなに頑張っても「理解」できないことはあるし、どんなに時間をかけても解けない問題、つまり「解決」できないことはたくさんある。
ここは完ぺき主義になって、理解できるまで頑張ってはいけない。問題が解けるまで頑張ってもいけない。
AとCは、どんなに努力してもできないものはできない。
この3つのフィールドで唯一、“やればできる”のが、B:記憶である。
どんなに頑張っても記憶できない、というものはない。聞いたこともない英単語でも、絶対に暗記できない、というものはない。必ず記憶できる。
記憶できてしまえば、前述のとおり、それはほかのフィールドに影響を与えて、理解や解決に資することになる。
とはいえ、たとえば慶應義塾大学合格には6,000~7.000語の英単語を記憶する必要があるとネット上には書かれているが、とにかくたくさんの情報を記憶しなければならない。
A:理解
B:記憶
C:解決
の循環を行うにあたって、B:記憶がどうやらカギを握っており突破口になりそうだけれど、記憶対象が多すぎて困る。そこで考えたことを一言で表すと次の結論となる。
記憶は、覚えようとしてはいけない。
1997年の冬に大真面目に考えて出した結論がこれである。
なにしろ、偏差値でいうと30台のゼロスタートであり、年齢的にも28歳(あと1か月で29歳)という状況だった。
私立大学といっても上位を目指すならば、大雑把にいえば、東京の比較的高年収の家庭に生まれて、小学生のころから塾に通い、私立の中学・高校を卒業してくるような人たちと同じステージで勝負しなければならない。育ってきた環境が違うし、文化圏が違う、前提条件が違いすぎる。あともう少しで東大に入れたかもしれないような人もたくさん混ざっている集団での、同等以上のパフォーマンスが求められる。
だからこちらは大まじめだった。
自分の人生を振り返って、勉強に関する乏しい具体的な経験から帰納すると、「記憶は、覚えようとしてはいけない」になる。
我々は情報に接触するには、「読む」「聞く」「話す」「書く」があり、そのアクションを一つ行うたびに、接触回数のパラメータが1上昇する。3度読めばパラメータは3上昇し、10度聞けばパラメータは10上昇する。
接触回数が多く、十分な蓄積がある場合、パラメータは大きく伸びている状態であるし、見たことも聞いたこともないような情報は接触回数が少なく、蓄積がなく、パラメータは0に近い。
ネズミのことをmouseというが、ミッキーマウスという言葉がテレビから聞こえてきただけで、パラメータは1上昇、パソコンのマウスと言っただけでも1上昇する。一方、同じネズミでも、比較的体が大きくしっぽの短いratはあまり聞かない。Mouseに比べると接触回数が少ない。
サルのmonkeyとapeも同じような関係があり、monkeyは「読む」「聞く」「話す」「書く」経験が比較的多く、apeは比較的少ない。映画『猿の惑星』が、Planet Of the Apesだったから、当時のレンタルビデオ屋で、そのタイトルを目にすれば、接触回数の経験値が1上がるという程度。
TOKYOとTENOCHTITLAN(アステカ帝国の首都)であれば、接触回数の頻度の差は歴然だろう。
TENOCHTITLANなんて、聞いたこともないし、読んだこともないし、書いたこともないし、発音した経験もなかった。
当然のことながら、パラメータの十分に伸びた情報を覚えることは極めて簡単で、忘れることもない。
TOKYO
DOG
CAT
などは覚える努力さえ必要としないくらいに接触回数の蓄積が多い。すでに覚えている。
一方で、接触回数の少ない情報は、覚えることは大変難しく、忘れやすい。
1997年のぼくの立場は、ちょうどTENOCHTITLANのような見たことも聞いたこともないような情報が、目の前に数千、数万個と広がっている世界を見渡している、という状況であった。
これを片端から覚えようとして取り掛かっても、何しろ接触回数が少ないので、苦労した割に覚えられず、覚えたとしてもすぐに忘れて定着しない、ということになるだろうと予想した。覚えることのできない自分は馬鹿だし、勉強はできない。能力がない。1年で上智大学に合格するわけがない。ということになって、嫌気がさしただろう。京都の漆塗りの職人として10年間で貯めた約1,000万円は、NSXを買って、受験勉強なんてやめてしまおう、となりかねなかった。
そこでアプローチを変えた。
覚えなくていいので、ひたすら接触回数のパラメータを伸ばす。
覚えようとしてはいけない。くれぐれも覚えようとしてはいけない。
ただただ、接触回数を増やすことだけが目的だと信じた。覚えなくていいなら気は楽だった。覚えられない自分を卑下する必要がない。作業としては大変だったが、気分的には楽だった。
情報との接触方法は、「言う(発音する、発生する)」のがもっとも効率が良い。おそらく、何かを発音するには、まずそれを目で見て読んでいて、発音し、発音した自分の声を聞くので、パラメータは3上がる。
1998年の1月にはじめた受験勉強は、5月にあった最初の模試(代々木ゼミナールの全国総合模試)で英語の偏差値は60を超えたところからのスタートとなった。
3フィールドのひとつであるところの、B:記憶の充実は、予想した通り、A:理解とC:解決にフィードバックされ、理解できなかったことが理解できるようになったり、解けなかった問題が解けるようになったりして、好循環が生まれた。勉強はやればやった分だけできるようになったし、理不尽なこともないし、正確なリアクションが返ってくる。
1997年の冬に考えた思索は、一定の成果につながっていった。