
勉強をする、ということはどういうことなのかについて、真剣に考えたことがある。
それはたぶん1997年、京都で漆塗りの職人として10年目で28歳というタイミングだった。
父は通産大臣指定の伝統工芸士で、一人息子の後継を当てにして、京都に10年間の修行に送り出したのだが、息子にそのつもりはなく、その約束の10年間が終了すれば、受験勉強をはじめようと考えていた。
どうしてそうなったのかはともかくとして、29歳から受験勉強をはじめる、ということになったのである。
もともと勉強の素養があれば良かったのだが、地方の私立高校(偏差値:39くらい)を卒業しているだけの人間で、まったく勉強ができない、基礎がない状態からのスタートだった。
とはいえ、何から手を付ければいいか分からないということはなく、やることはきわめて明確だった。もし受験勉強ができる時間と環境があるなら、こうしようというアイディアは持っていた。
勉強を実際にはじめたのが1998年の1月、そこから1年。1999年2月、上智大学文学部英米文学科の1次試験に合格したものの、その後の2次試験(面接)で不合格となった。
当時の赤本には、1次の筆記試験に合格すれば面接は100%合格すると書かれていたが、ぼくはそのはじめての例外になったらしかった。
2年目の受験勉強の結果、2000年の2月は、慶應・慶應・慶應・慶應・早稲田・早稲田・早稲田・早稲田と8日間連続で受けて、5学部に合格し、3学部に不合格だった。
合格したのは、慶應義塾大学文学部・商学部(B方式)、早稲田大学法学部・商学部・教育学部(英語英文)。不合格だったのは、慶應義塾大学法学部・経済学部(B方式)、早稲田大学政治経済学部(政治学科)。
2年目の結果のほうが派手に見えるけれど、まったくのゼロから開始して上智大学の筆記試験に合格した1年目のほうが大きな成果だといえる。受験勉強をはじめる前の1997年に考えていたシミュレーションが当たったというか、こうすればうまくいくだろうと考えた方法が、ある程度、その通りだったと確認できたからだ。

勉強には、3つのフィールドがある。
A:理解
B:記憶
C:解決
A:理解は分かろうとする努力であり、B:記憶は覚えようとする努力であり、C:解決は問題を解こうとする努力である。
この3つのフィールドはいわく云い難い関係を取り結びながら、相互に影響を与え合う関係にある。各々が独立しているわけではない。
当時は、というか今もそうかもしれないが、理解が重要という風潮があった。
塾や予備校が優秀な講師陣をひたすら宣伝するのは、この「理解」を手助けできるからであるが、同時に、それは「記憶」と「解決」は手助けできないという意味でもあった。
記憶はひとりで行うしかなく、解決もひとりで行うしかない。予備校の講師が受験生に代わって英単語を暗記してくれるわけではないし、問題を解いてくれるわけでもない。ビジネス的には、B:記憶とC:解決は儲からないのであって、A:理解だけが他者の介入によって商売になりやすいのだ。
したがって、「理解」に偏ったやり方をしてはならず、というか、「理解」に偏れば、むしろ逆説的に「理解」ができない、ということにもなりかねない。
たくさんのことを暗記したり、問題演習を重ねたりすることによって、理解できるようになることもある。問題を解くことを通して記憶できることもあるし、理解と記憶によって問題が解けることもある。とにかくこの3つのフィールドは相互依存関係にあるのだ。
そうしたわけで、このことについて考えたとき、塾や予備校に行くことがさほど重要なことではないという結論になった。順番はともかく、A→B→Cをドライブ(回転)させることが重要なので、市販の参考書・問題集があれば十分だった。
模擬試験やZ会の通信講座は、問題を解く(B)→解説を読んで理解する(A)→知らないことを暗記する(B)という回転に資する。とにかくそういう材料であれば何でもよかったのである。
もっとも、このことがビジネス的にも当てはまる部分があるということに、当時はまだ気が付いていなかったのだが。