
車を運転するときに聴いていたラジオで興味深い話があり、あとになってその音源を探したらyoutubeで発見した。吉田照美がパーソナリティを務める文化放送の番組で、小倉智昭が出演したときのことだ。2018年だったんじゃないかと思う。この音源は気に入って、新人研修の教材にしたほどだった。
小倉智昭はEmaというジャズシンガーをプロデュースしており、そのCDが発売となったので、Emaを連れていろいろな番組にプロモーションを展開しており、そのうちの一つが文化放送の吉田照美の番組だったのだろう。
Emaは当時20代後半で、カヴァーアルバム『Respirar』でデビューするというところだった。ラジオ番組の中ではあまり喋らず、プロデューサーの小倉智昭が熱心に宣伝活動を繰り広げていた。
ぼくがこの音源を気に入って、新人研修に使ったのは、上記のようなシチュエーションにおける話術の達者な二人の話を5分くらい切り抜いた部分であり、この音源を聴いてもらったうえで、小倉智昭がいちばん話したかったことは何ですか、という設問だった。
もちろん正確な回答は小倉智昭本人にしか言えないことで、リスナーは詮索するしかない。ぼくに正解が言えるはずもない。でもそれをいうと、国語の試験における問題作成者の考える正解が、作者の考える正解とは限らない問題と同じことだ。自分が書いたわけでもない文章に傍線を引き、このときの主人公の心情はどのようなものか、というような問を作成したとして、その正解はあくまで問題作成者の思う正解であって、作者も100%意見が同じとも限らない。同様に、ラジオ番組の5分間の切り抜きを用意して、あくまでここは、問題作成者が考える正解を出してほしい、という設問になる。
新人研修の参加者(7人くらい?)は、はたしていろいろな回答を出した。まずそれが意外だった。
回答は一つしかなく、全員の回答はほぼ一致すると思っていたのに、そんなにバラバラな回答になるとは思わなかった。
- 小倉智昭はなぜEmaをプロデュースすることになったのか。
- ふたりはどのように出会ったのか。
- ジャケットの撮影はどこに行ったのか。
- アルバムタイトルはどのように決まったのか。
(あくまで問題作成者の期待する回答としては)すべて違う。小倉智昭がいちばん話したかったことはそういうことではない。
正解は、「選曲」である。
尾崎豊『I LOVE YOU』、荒井由実『卒業写真』、AKB48『恋するフォーチュンクッキー』などが入っていて、誰もが知っている有名曲なのに、ジャズアレンジされると一瞬なんの曲か分からなくなる。なんとなく聞き覚えがあるような気がして、よくよく聞いていると「ああ、あれか」となる。そんな選曲にした、ということを小倉智昭は云いたかったのだ。
小倉はジャズシンガーEmaをプロデュースしたのであり、そのデビューアルバムを売りたいのであり、そのためのプロモーションで番組に出演している。カヴァーアルバム『Respirar』の最大のセールスポイントはその選曲であるというわけだ。
ところが、その話を小倉がしようとしたら、吉田照美が遮った。遮ったうえで吉田照美は、まずこのジャケット写真はどこで撮ってきたのかを小倉に訊いた。この時に一瞬の「間」があった。
吉田照美はプロ中のプロ、小倉智昭もプロ中のプロ。二人とも大ベテランで話術の達人である。
この一瞬の「間」の中に、小倉智昭の「なぜ遮った?」という疑問、吉田照美の「先にジャケットの話、タイトルの話、最後に選曲の話をしたい、選曲の話をする中で実際に曲をかけたい」という意図、しかも小倉の「その段取り、分かった」と理解して、吉田の話に任せて、やりかけた選曲の話を惜しげなく切り上げ、ジャケットの話にシフトした。
つまり、この二人の1秒足らずの沈黙の間には、きわめて密度の高い意思疎通が行われており、無言のコミュニケーションによって番組の進行をおこなった。
「小倉智昭がいちばん話したかったことは何か」という問題の作成者として、ぼくの期待した正解は選曲の話であったが、さらに、二人の間にあった番組進行に関する無言のコミュニケーションがありましたね、と云えたら、100点だった。
疑問・意図・理解・合意のようなプロセスが一瞬にして行われるプロフェッショナルなコミュニケーション。なんとなくそんなことを思い出したので書いてみた。小倉智昭さんのご冥福をお祈り申し上げます。