四輪駆動のラジコンについて、モーターまたはエンジンの動力を前後輪にどう伝えるか、という問題がある。べつにぼくは設計者ではないので、プロペラシャフトを使う方法とチェーンを使う方法を熱心に検討する立場ではなかったのだけれど、子供ながらにどちらが優れているのか考えていた。若いときは無駄なことにエネルギーを使えるものだ。
1984年の「プログレス(京商)」「CX4WDi QUATTRO(AYK)」ではチェーンドライブが採用され、1985年の「ホットショット(タミヤ)」ではプロペラシャフトが採用された。それ以降はプロペラシャフトが主流となったが、コンパクトで防塵性に優れたプロペラシャフトばかりな状況にどうも納得がいかないまま大人になった。離れている場所に動力を伝える場合にチェーンがシャフトより優れている点は何でしょうか、と某機械メーカーの部長に質問したのはわりと最近のことである。
バイクのエンジンから後輪に動力を伝える際にチェーンを使うのは、シャフトを利用するのに比較して、コストが安く、軽量で、メンテナンス性に優れ、動力を伝える効率が良いからだ、といわれても、じゃあなんでFRの車は前に積んだエンジンの動力を後輪に伝えるのにプロペラシャフトを使うのか。高トルクの長時間稼働にチェーンは向かないということか。そうだとすれば、バイクは理屈上、高トルクではないか、長時間稼働ではないか、のどちらかになるはず。バイクは車に対して著しく稼働時間が短いとはいえないはずなので、やはり〝トルクが低い“からチェーン、ということになるだろうか。
Peanuts Racer(京商)のときに、エンジンとクラッチの機構というか仕組みを理解して、当時は感銘を受けた。
2サイクルグローエンジンで、キャブレターで燃料(だいたいメタノール)と空気を混ぜ、混合気をシリンダーが吸い込み、ピストンで圧縮してグロープラグで爆発させる。昔はグロープラグにワニグチクリップでバッテリーから電源を供給したが、今はそんなことはしないらしい。火花を散らすのではなく、ニクロム線を発熱させ、混合燃料を気化、点火する。シリンダー内の爆発によってピストンが押し下げられると、排気ガスが排出されると同時に、新たな混合気体を吸い込む。シリンダーはまた上がって混合気を圧縮、爆発、・・・の繰り返し。これがエンジンのかかった状態だが、エンジンは簡単にはかからない。
簡単にかからないと思って、何度も回していると、突然始動する。空冷用のファンで手を切って血だらけになりながらスロットルを調整する。
一回かかったエンジンは貴重であり、一度止めるとまたかけるのが大変。なので、エンジンがかかっているのにタイヤは動いていない、という状態を作る機構が必要であり、この点がモーターによる電動との大きな違いになる。モーターは止まっている状態が保持できるが、エンジンはクランクシャフトがとまっている状態は保持できない。
そこで必要になるのがクラッチであり、Peanutsのようなモデルカーでは、遠心クラッチが使用されていた。エンジンのクランクシャフトはクラッチ内側のセンターシャフトに接続され、エンジンの出力はここに入力される。センターシャフト上には放射状にマウントされた摩擦パッドがあり、この摩擦パッドはばねの力でセンターシャフトに接地しているのだが、一定以上エンジンの出力が大きくなると遠心力がばねの力を上回り、センターシャフトから離れて外側の壁に接地する。外側の壁とは、ハウジングのリム内側のことであり、摩擦パッドはリムにかみ合って、クラッチ外側のドラムが回転する。外側のドラムはプロペラシャフトに出力され、プロペラシャフトはデファレンシャルギアを経由してタイヤに出力される。
つまり、エンジンはいつもかかっている状態だが、回転数が低いときは外側のドラムは回転せず、タイヤも動かない。スロットルを開けてメタノール混合気体の流入を増やし、エンジンの回転数を上げると、遠心力の力で摩擦パッドがセンターシャフトから離れて外側のリムにかみ合い、ドラムが回転してタイヤが動き出す。
双葉電子工業株式会社が製造したプロポーショナル・ラジオ・コントロール・システムの送信機で、スティックを倒した分だけ比例して(まさに、というか、だからプロポーショナル)、サーボモータが一定角度のみ回転し、それによってエンジンのスロットの開閉が調整されて出力が変化する。
エキゾーストマニホールドとマフラーから、二酸化炭素や未燃焼のメタノール、窒素酸化物などを吐き出しながら、エンジンは回り続け、送信機のスティックをニュートラルにしてもスロットルは完全に閉じないようにセッティングされている。こうしてPeanuts Racerは物凄いスピードで小学校のグラウンドを走り回った。うるさいし危ないし大気汚染だし、迷惑といえば迷惑な話ではあるが。
そのあとRC飛行機に行きかけて、セスナのキットを購入したが、4chのプロポが高額過ぎて、後回しにしているうちに途中でやめてしまった。スロットルとラダー、エレベーター、エルロンが独立して操作できるためには4chプロポが必要だった。
昨日はたまたま劇団四季のミュージカル『アナと雪の女王』2回目(チケットは11枚目)の観劇だったが、熱心にラジコンの話を書くことがどうも違和感があるといえばある。ベアリングやデファレンシャルギアや遠心クラッチのような手応えのあるもの、手で触れることのできる「実態」に傾倒していた頃と、手触りのない経験に傾倒するようになった時代の比較が対照的と云えば対照的である。
1980年代に「遊び」が分岐し、手で触れることのできるものと手で触れることのできないものに分かれていったような気がする。代表的なものはゲームのプログラミングで、授業中にノートにずっとプログラムを書いていた。でもどこか物足らなさがあり、実体のないものの遊びに虚無感というか、不足感がないこともなかった。
物事が抽象的に表現され、比喩が多用され、ジャン=ジャック・アノーの映画『トゥー・ブラザーズ』を観てポスト・コロニアリズムな思想を感じたとしても、そういう重さのない面白さがなんとなく、全体にまとわりついていた。
年齢を重ねるにしたがって、実体のあるものへの執着は薄れ、形に残らない経験への傾倒に変化し、やがてその経験さえも熱心に求めなくなった。そうすると手応えのある具体的なものに喜ぶ人や、形に残らない経験や抽象的なものに喜ぶ人を眺めていることだけが好ましく、あまり自分で新たな経験をつみたいとも思わなくなった。