1999年にひとりでニューヨークを旅したとき、セントラル・パークすぐ南側にあったParis Theater(今はもうないかも知れない)で『スター・ウォーズEPISODE I』の初日、初回の上映を観た。初回上映は朝の6:30amとか7:00am(しかも平日)とかからで、前日の夜からライトセーバーを持った大騒ぎの群衆の中で、CBSのレポーターが帝国軍の兵士やダースモールなどにインタビューする傍ら、知らない人と写真を撮ったりして朝になった。
映画を作り続けたスティーブン・スピルバーグと異なり、ジョージ・ルーカスはいったん作品つくりの現場を離れ、音響や視覚効果などハードウエアの発展に貢献した。当時の技術では、頭の中で思い描く『スター・ウォーズ』を作れなかったからだろう。飛躍的な進歩を遂げたILM (Industrial Light & Magic)のVFXに新型DOLBY DIGITAL EX (6.1チャンネル)の音響が重なり、“ルーカスの帰還”を異常な感動で迎えた。
EPISODE Iは1977年の1作目(EPISODE IV)から22年ぶりの(スター・ウォーズにおける)監督復帰作であったため、観客はあらゆるトレーラー(公開前の映画の予告)にはやくはじめろのブーイング、それが15編ほど続く長い予告編の後、暗転の静寂に緊張、やがてパーカッションと同時に20th CENTURY FOXのスタジオ・イントロで大歓声、ファンファーレが鳴りやまないうちに黄色いイントロは緑色に輝くLUCAS FILM ltdのスタジオ・ロゴに変わって、絶叫。
“a long time age in a galaxy far far away…”で呼吸ができなくなり、直後のSTAR WARSのタイトル出現でもはや失神という状況、椅子に座っている人など一人もいなかった。
Winter Garden theaterのCATSが終わる前に観たいという動機づけと、EPISODE Iの初回(日本公開より3ヵ月ほど早い)を観なければならないというのが重なり、1週間ほどニューヨークに滞在することに決めたのだ。その年は上智大学の面接で不合格になった年であり、翌年は早稲田か慶應に合格しなければならない立場だったが、そもそもVALUEが違う、と本気で思っていた。
大学生になると、都内のある映画館のプロジェクター・チームにアルバイトとして入り、7つのスクリーンの映写を一人で担当した。朝寝坊などしようものなら、館内に大勢押し寄せた子供たちが待っているのに『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』(春休み)、『ポケットモンスター 七夜の願い星ジラーチ』(夏休み)が始まらない、という大変責任重大な仕事だった。
1本の映画が90分とか120分あるといっても、それが7つあれば次々に始まって次々に終わっていく。終われば直ちに次の準備にかからなければならない。
映写機はアメリカのクリスティ社製でFlat LenseとScope Lenseが付いており、プログラミングでレンズ切替え、館内の照明、スクリーンの幕、館内アナウンス…等をコントロールした。映写機にはプラッターと呼ばれるフィルムを乗せる円形のステージが付帯しており、このプラッターは上中下三段になっている。下段のプラッターに置いたフィルムは映写機を通って中段か上段のプラッターに帰ってくる。中段に置いたフィルムは上段か下段に戻ってくる。同じ場所にフィルムを戻すことはできない。
担当者が二人いるなら上段・下段のプラッターからフィルムを取り出すことも、乗せることもできるのだが、一人しかいないと中段プラッターにしか出し入れできない。
ちょうど中段プラッターと同じ高さのワゴンがあったので、それを使って移動する。
例えばクリーン1番で終了した映画のフィルム(あらかじめ中段に戻るようにしておいた)をワゴンに乗せて、スクリーン7番の中段プラッターに移動するというようなことを行う。
フィルムは両肩に送り穴(パーフォレーション)が開いており、映写機のスプロケットホイルの歯がこのフィルムの送り穴をひっかけて張力を伝えつつ駆動する。特に右肩には音声情報が含まれていて、これがスプロケットホイルとの摩擦によって劣化していく。フィルムの中央は絵の情報なので、音声情報は端に記載するしかない。
当時の音響フォーマットはDOLBY SRD (Spectral Recording Digital)が大多数で、『ウルトラマン』などの番組だとDOLBY SR (Spectral Recording)つまりアナログがたまにあった。
デジタルのSRDはフィルムの劣化によって次第にデジタル信号を読まなくなっていく。読取りレベルが「0」「1」のときは最高によく読める、上映から2週間くらいすると「4」「5」とかになって読取りレベルが下がる、ロングランになると「7」「F」などを連発する。「F」はFaultを意味し、テニスでいえばサーブがサービスボックスに入っていない状態。つまりデジタルを読んでいない状態で、この場合は機械的にDOLBY SR(アナログ)に切り替わる。
このデジタル(SRD)→アナログ(SR)に切り替わる瞬間に、ブツッという異音が発生し、そういうのを知っている通な客なら、後ろを振り返って「デジタル読んでねえぞ!」と怒鳴ったりするのかも知れない。もっともそう言われてもどうしようもないので、「嫌なら上映開始から2週間以内に来てください」と云うしかない。
当時の感覚でいうと、『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』はロングランになるかも知れないと予想した通りロングランになった、『世界の中心で、愛を叫ぶ』は誰もロングランになるとは思っていなかったのにロングランになった。
ソニーのSDDS(Sony Dynamic Digital Sound)も同様に、音声トラックはフィルムの右肩に記載されるので、上映回数が増えるほど劣化していき、デジタルを読まなくなっていく。DOLBYと比べてSDDSは音声トラックが粘着性で、夏場はこれがくっつきやすい。
いずれにしてもDOLBY SRDもSDDSもフィルム本体に音声情報が記録されているので、絵と音がずれるということは起こらない。
DTSの場合は、フィルム本体に音声情報の記録があるのではなく、付帯するDVDから音を鳴らす。おそらくフィルムにはDVDのどこを再生するべきかという信号があるだけだろう。そうだとすれば、プラッターと映写機を何往復してフィルムが劣化しても、音響は劣化しない。『ロードオブザリング/王の帰還』がぼくの触った最初のDTS映画で、超長期間の上映を前提として配給されたのだが、そういう映画に限ってあっさり終了してしまう。DTSのコストを回収できたのかどうか、ぼくは知らない。
時間経過による劣化は音響だけの問題でもない。スクリーンに光を届けるランプ(キセノンランプ)が50万円~100万円くらいするそうで、個体によって寿命が異なる。500時間で駄目になる場合もあるし、2000時間も使える場合もある。
ガラス管に封入された高圧のキセノンガスに高電圧をかけると中の電子が飛び回って衝突を繰り返し、強力な光を発生させる。
映画館の運営会社としては、すべてのランプは450時間毎に交換するなどと指針を定めればリスクは少ないけれど大きなコストが発生し、ぎりぎりまで使用するということにすればコストは低減されるがリスクが大きい。
映画1巻のフィルムを借りるのに70万円とか80万円とかかかり、単純にチケット料金で回収するには450人くらいの動員が必要となる。実際には「出て行くお金」はこれだけではないので、それを回収するのはまあ大変だろう。やはり映画館はポップコーンを売ってかろうじて成立する、そんな状況である。
ということは、キセノンランプはぎりぎりまで使いたい、となるのは人情で、このランプは2000時間持続する個体かも知れないと思いながら、はらはらしながら500時間、1000時間、1500時間を超えていく。
その結果、運悪くぼくが担当する日に突然悲劇が起こる。
『ラストサムライ』の上映中(なにしろ154分もある)、キセノンランプは寿命を迎え、どんどん光が弱まっていく。最初は、少し暗いかな、という気づくか気づかないかくらいの程度だったのが、時間経過とともに事態はどんどん悪化していき、誰がどう見ても暗い、という状態になる。
でも劇場内の観客は何事もなかったかのように映画を観ている。ずっと見続けていると変化に気が付きにくいのかもしれない。
家で寝ている支配人に電話しても「ああ、そう」くらいの話で、「無料券配っておけばいいんじゃない?」みたいなリアクション。もはや真っ暗で、渡辺謙とトム・クルーズの見分けもつかない。事件は現場で起きている。
上映終了し、出てきたお客様一人ひとりに詫びて無料券を配布したが、キセノンランプの数百時間のほうがコスト的に優先されるのである。