営業が成功するには(A/D converter実装)


営業の人材を採用するのは難しいし、営業の人材を育てるのも難しい。なんなら自分自身が営業を行って成果を出すことも難しい。なんでも難しい。

誰が営業に向くのか、どういう人が営業的に成果を上げるのか。

例えば「こういう人が上手くいく」ということが云えたとして、目の前の人がそうなのかどうかは判断がつかない。

同じ条件で同じ実験を行えば誰がいつどこでやっても、同じ結果が出る、つまり再現性が高い、というのは理系的なフィールドの話であって、そういう意味で営業は理系的だとは云えない。

営業の現場では、同じ相手であっても、同じことを行って同じ結果が出るとは限らない。というかそもそも同じことができないし、「その場、その時」の一回限りのものだ。

支払金額を上回るメリットの訴求、質問に対する回答、懸念に対する説明、具体例の選択、他社実例の紹介、あるいは話し手の遊び感、というか余裕のある雰囲気、相手の立場や状況への配慮、未来への安心材料の提供、社内稟議を通過させるための示唆…など、完全に同じ打合せなどあるわけがない。

一回一回がすべて異なり、再現性が低い。選択する言葉によって、話し方によって、その時の状況・タイミングによって、受け取る印象も話の行方も変わってくる。

そういう意味では営業は文系的だ。


営業はその場での一発勝負であり、一期一会的であり、やり直しはきかない。

ある比喩を思いついたとして、それが分かりやすいか、理解に役立つか、笑えるか、その後好ましい方向に誘導できるか…を頭の中で検討して、口に出すか出さないか決める。つまり打合せの最中に、「口に出そうかな、どうしようかな」という候補はたくさん検討されるが、実際に言葉に出して言うのは、そのうちの数パーセントくらいだろう。その比喩が相応しくないと判断される場合もあるし、相応しかったがタイミングを逃した、という場合もある。

駄目なのは、あらかじめ練習してきたことを話すとか、事前に用意してきたネタを話すとか、テーマごとに用意した紋切り型で画一的なライブラリを多用することだ。

しかもそれは、カセットテープレコーダーにライブラリのカセットをセットして、再生ボタンを押すかのような話し方であり、漫才師オードリーの春日さんみたいなやり方である。

会社概要を話すなら必ずこれを言う(ライブラリ1)

ヒストリを紹介するなら必ずこの話をする(ライブラリ2)

そのビジネスをはじめた理由を話す(ライブラリ3)

実績の紹介では必ずこの話をする(ライブラリ4)

セキュリティの話では必ずこの話をする(ライブラリ5)

…などのライブラリがたくさんあり、相手がその話を望んでいるかどうかはお構いなしで、相手が誰だろうと、いつでもどこでも、とにかく必ず同じ話をするのである。当然、「好みの問題」で指摘した「必要なこと」か「不必要なこと」かという判断など、行わない。

酷い場合には、相手から「うちは防衛相関係の仕事が多いので、無理だな」と言われているのに、一瞬フリーズした後、気を取り直して「では次にセキュリティの話です」とそのままプレゼンを続けられる猛者。

あるいは、「そもそもうちは同業者だからアライアンスを組みたい」という示唆に対して、何事もなかったかのように「では、弊社の会社概要ですが」と続けられる猛者。

「離職者はどの程度の割合で出ますか?」に対して、「離職者が出た場合は代替者を早急に用意しますので」と、訊かれたことに答えない猛者。自分の持っている中で最も近そうなライブラリがそれだったのだろう。

どんな状況であれ、相手がだれであれ、胸を張り、人差し指を立てて「トゥース!」を言うと決めたら、必ず言うのだ、という猛者感。すごい。


少なくとも相手の話に呼応できて、臨機応変なフリートークができる人でないと営業は厳しい。

経験により蓄積した事例やエピソードはライブラリにすればよく、ライブラリを増やすこと自体は否定しない。でもどんなに数が増えても、“そのときその場”で相応しいぴったりのライブラリは案外なく、結局もっとも近そうなライブラリを取り出して使うことになるのだが、相手のニーズに対してずれた回答になる。

たくさんの事例やエピソードを知っており、山ほどライブラリは用意してあっても、ひとつも使わないという姿勢が良い。あるいは、使うとしてもその場に即した内容に改修しながら話す、のであれば良い。相手の興味・関心・期待・懸念・不安…に臨機応変に呼応する必要があり、話す内容はいつも違う、が正しい。

打合せの難しさは、再現性のない一回限りのミーティングをどう行うかという問題がある一方で、そのミーティングをどう総括し、どう報告するかという問題もある。自分で行ったミーティングは自分の主観的な評価と解釈でいかようにでもなる。

つまり、そのミーティングがどうであろうと、もっともらしい報告を創作すれば、それなりに営業活動を行っているように見えてしまう、という問題である。

報告の聞き手は、報告者が正確に言っているという前提に立つが、それが曖昧だったり、矛盾があったりすると、次第にあまり鵜呑みにできない、となって信頼性が低下する。

アガサ・クリスティ『アクロイド殺人事件』のように「信頼できない話者(Unreliable narrator)」的な話だ。


社内での報告スキルさえ高ければ、営業内容がどうであれ安泰というわけにもいかない。やはり営業は結果がすべてであり、野球選手と同じように数字によって評価される。数字ということは、1なのか0なのかという、きわめてデジタルな世界なので、一切の曖昧性は排除される。

電気制御を行うPLC(Programmable Logic Controller)のセンサのように、外界からやってきた光や温度、圧力などの物理情報(アナログ情報)をA/D converterによってデジタル情報に変換する。云い方を変えれば、抽象的な情報を具体的な情報に変換する。

つまり、営業はフロントオフィスに立って外界と接触する立場で、再現性がなく反復的でもない一回限りのコミュニケーションによって打合せを行い(場合によっては釣り堀で時間をつぶしているだけかも知れないが)、事実をそのまま報告するか、都合の悪い部分は削除して報告するか、良さそうなことを強調して報告するか、場合によってはやや調整したり創作したりして報告を行うかも知れない。

そこまでは主観的であり、曖昧であり、抽象的であり、文系的だったのだが、最終的に契約を取るか取らないか、売上が目標に行くか行かないか、という理系的なデジタルの世界に移行する。

このA/D Converter(アナログ/デジタル変換)のような装置が組み込まれていない営業が多いのが実態で、上司から数字の話を訊かれたりすると全く考えてなかったり、今どうなっているかというデジタル情報を把握していなかったり、適当な数字を言って後で困ったり、数字よりもっと重要な問題があるだろうと思ったり、「うるせーばか」と思ったりするのである。


  • A: 主観的・抽象的・連続的・流動的なアナログ情報
  • B: 客観的・具体的・離散的・確定的なデジタル情報

営業の仕事はAだけで完結するのではなく、Bまで含まれる。というか、じつはBのほうが重要で、A→Bの変換(比喩としてのA/D converter)が上手にできる人が営業として大きな成果を上げ、成功する。

Aは上手だけれど、Bに移行できない人はやがてうまくいかなくなるが、AB両方苦手な人は最初からうまくいかない。

契約を取得するということは、甲乙双方が、その内容について合意するということで、主観的な解釈の余地はない。曖昧な期間でもないし、流動的な金額でもない。

きわめて具体的で、確定的な約束を取り交わすのであり、誰からでも確認できる客観性を備えている。

そんなふうに考えると、最初のマーケティングからターゲティング、プレゼンテーションと訴求、検討と打合せを重ねて契約締結に至るまでにおいて、アプローチ・オープニングでは相手の興味や関心を喚起するところに重点が置かれ、様々な可能性を提示し、将来の夢を期待させ、抽象的にプラスの印象を与えて「良さそう」と思わせる。

一方、クロージングにおいては、広げた風呂敷を畳んでいくような、不要な可能性を排除し、条件を確定させ、使わないオプションを切り捨て、仕様と内容を限定していく。方法も条件も金額も期間もそれ以外の選択肢はないし、この確定的な契約書をいつ締結できるのか、というきわめてデジタルな話になる。

様々な可能性を提示して、何種類もの見積を出し、様々なプランをテーブルの上に出して、なんとなく楽しそうな雰囲気を作り出して、動機付けを行ったら、1種類のプランと1種類の見積だけ残してそれ以外のものはすべて片付けに入る。


賃貸物件の営業を例にとると、最初はカウンターに座ったお客にお茶を出して、必要な情報を取り、間取りや条件に合致した中から様々な物件(可能性)をプリントアウトして、あれもあるしこれもあるし、と楽しげに夢は膨らませる。

でもクロージングに入ると、要らない物件(可能性)は全部片づけ、重要事項説明書の読み合わせを行い、いついつまでにこの賃貸契約にサインするしかなく、いつまでに初期費用を入金しなければならず、その入金口座も決まっており、変更できない。いつまでにカギを渡し、いつ入居できるのか、とにかく様々な可能性を限定していく。この期に及んでやっぱり隣の街もいいなあとか言わせないし、契約書のここが気に入らないから変更してくださいなどの希望も聞くことはできない。嫌ならこの部屋には住めないし、住みたければ言う通りにする以外にない。

同じ営業でも、オープニングとクロージングではずいぶん様相が異なるのである。

たとえばソフトウエア増設の案件があり、担当者がお客様と電話で短い打合せを行った。

「このソフトウエアはいつ頃から導入されたいですか?」

「そうですねえ、なるべく早くが良いですねえ」

「なるほど、なるべく早く、ですね! 承知しました。」(電話を切る)

その契約書に追加するソフトウエアの使用期間は「なるべく早く」と書くわけには行かない。営業担当のあいまいな話をぼくが自分のA/D converterによって具体化させる必要がある。

使用期間:2024年11月1日~2025年10月31日だと、ソフトウエアの準備が11月1日に間に合わない。かといって

使用期間:2024年12月1日~2025年11月30日とすると、11月中にソフトウエアの準備ができても、契約開始日まで使えない。

お客様は「なるべく早く」と云っていたのだから、使用期間:2024年11月1日~2025年10月31日を採用し、ただし契約開始日には間に合わないことを理解いただいたうえで納品・インストール・設定され次第利用可能であるという備考をつけよう、と決めた。12月1日スタートの可能性は排除したことになる。

クロージング(具体化・確定化)まで担える営業担当の出現を、心待ちにしている。

“あるのは目標だけだ、道はない。我々が「道」と呼んでいるものは、ためらいに他ならない”

たまたまフランツ・カフカの『失踪者』を読んでいたので、カフカの言葉を引用した。


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