右と左の話


小学生くらいの頃だったか、将棋の駒の並べ方で友達と喧嘩になったことがある。角は左で飛車は右だとぼくは主張したのだけれど、友達は逆だといって譲らない。将棋の場合は、角は左と決まっている。日本では右より左が偉い(右大臣より左大臣の方が上位)のだから飛車(格上)が右なのはおかしい、格下の角がなぜ左なのか、とかそういう話を議論していたような気がする。でもとにかく飛車が右で角が左というのが正しいのだから仕方がない。

横綱の土俵入り(雲竜型)では、右手が攻撃、左手が防御を表しているが、もしかしてそれと関係があるのだろうか。攻撃の飛車は右側で、防御の角が左側、駒としては飛車の方が格上だが配置場所は下位、なんなら機動戦士ガンダムは、右手にビームサーベルを持って左手に盾を持っている。

ひな人形の並びでは、鑑賞する人から見てお殿様が左側でお姫様が右側であるが、天皇陛下も皇后さまの右側に立つので、向かい合った人から見れば天皇陛下が左側、皇后さまが右側と同じ(関東と関西で異なる説があるが深入りしない)。京都御所の紫宸殿の前庭に植えられている桜と橘を「左近の桜、右近の橘」と呼んだのは、天皇から見て左に桜があったからで、やはり「左側」が上位である。神道では、鳥居をくぐるときは鳥居の中心(正中)より左側を、左足から踏み出してくぐるべきであり、手水は柄杓を右手に持ち、左手から清めるべきである。とにかく左上位なのである。

ところが、演劇などの舞台になると、観客から見て右側が上手で左側が下手となる。演者から見ると逆になるけれど、ややこしくなるので、観客からの視点のみで進行する。吉本新喜劇でチンピラが「邪魔すんで」と入ってくるのは左側(下手)であり、笑点の山田君が座布団持って入ってくるのは右側(上手)からである。オーケストラの配置は観客から向かって左側(下手)から、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン・・・となり、右側(上手)にチェロ、ヴィオラがある。第一ヴァイオリンの首席奏者がコンサートマスターであり、舞台の最も左側(下手)に配置される。ちなみに政治的な右・左というのは、フランス革命のときに王制を支持する保守派が議会の右側に座り、共和主義者の革新派が左に座ったことに由来するらしいので、関係のない話だ。

このようにもともと日本の文化では左上位だったのに、舞台や映画などでは右側が上手となってきている。というか、舞台や映画に限った話ではなく、現代の日本は「右」に傾いている。政治が右に傾いているという意味ではなく、左上位の伝統を残しつつも、実際は「右側上位」になってきているという意味である。「右に出るものはいない」とか、「右肩上がり」とかいう表現もあり、「右側」は、重要・強力・上昇などの比喩として、機能している。

まんがだと、左を向いているキャラクターは力を発していて未来を志向しているのに対して、右を向いているキャラクターは過去を向いていて、強力な力を受け止めようとしている。もっとも左を向いているキャラクターは右側にいるものであり、右側を向いているキャラクターは左側にいるものである。読者から見て右側は上手で、力を発するところ、動きの発生するところ、キャラクターが出現するところ。左側は下手で、力を受け止めるところ、キャラクターが退場するところである。映画「ルパン三世カリオストロの城」のラストシーンでは、ルパンを見送るクラリスのところへ銭形は「右側(上手)」から駆け込んできて、「まんまと盗みおった」「いえあの方は何も盗らなかったわ」・・・のあと、「ルパンを追え!地の果てまで追うんだ!」となって、画面左側(下手)に退場する。

「銀河鉄道999」の車内のシーンでは、哲郎が右側(上手)、メーテルが左側(下手)に座っている場面が多く、冒険の主導権は哲郎が持っており、メーテルは受動的である。冒険の主導権を持っている方が必ずしも強いとはいえないが、攻撃担当は右側で、左側は防御担当だ。同じ画面の中に味方しかいない場合は、より攻撃的というか主体的なキャラクターが右側(上手)に配置されやすいということだが、もし同じ画面の中に敵がいる場合は、味方・主人公側が右側(上手)に配置されやすい。

日本語は右から左に読むので、上手(右側)→下手(左側)の移動は一見順当に思える。主人公は上手に配置されやすく、陽・生・善などを含意するのに対し、脇役や敵役は陰・死・悪などを含意する左側に配置されやすい。にもかかわらず「移動」ということになると、左から右の移動が順当で、右から左は順当ではなくなる。

舞台や映画の伝統的な演出では、左から右の動きが順当で穏当、前進・勝利を含意するのに対し、右から左の移動は困難に対する(絶望的な)挑戦であり、逆境であり、敗北するかも知れない試練を含意する。そういう意味では「宇宙戦艦ヤマト」は、艦首を左に向けて画面右側から左方向に向かって進むし、「鬼滅の刃」における煉獄杏寿郎は右側に配置され、左側にいる猗窩座に立ち向かう。いずれも主人公側は困難に挑み、敗北するかも知れない試練に立ち向かう、の構図である。

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