
三菱鉛筆のhi-uni Bを3ダース買って、1998年1月から受験勉強を開始した。あまり几帳面に規則正しい生活を厳守したわけでもなかったが、まあだいたい同じような時間に起床して、ほぼ1日勉強して、ほぼ同じ時間に就寝するという生活になった。そして隣町の三条市民プール(屋内温水プール)に通って、毎日1km泳ぎ、サウナに入って漆のはがれかけた手を見つめた。29歳の男が平日の昼間に毎日プールで泳いでいると「何をしている人なのか」と思われたかもしれないが、無職であり浪人生であるということをむしろ見知らぬ人に発表したくて仕方がなかった。社会的には褒められた身分ではないのかもしれないが、他人に押し付けられた人生ではなく、自分で決めた人生を生きているという実感が嬉しくて、無職の浪人生であるという身分が誇らしくさえあった。実際平日の昼間、50mプールはほとんど貸し切り状態で、前進しているのかじたばたしているだけなのか怪しいくらいの自由形でも、他人の迷惑になることもなく、誰にもぶつからずに一度も足をつかず10往復することができた。
毎日プールで泳いで、気が向くとシーサイドラインを走って本を買いに行き、週に1回は映画を観た。サンクトペテルブルグの名門バレエ・カンパニーが来日して上演した「白鳥の湖」や、ベルリン国立歌劇団のオペレッタを観劇したり、劇団四季の「夢から醒めた夢」を観に(聴きに)行ったりもした。ミュージカルが趣味になったのはこの時以来だろう。本来ミュージカルは作品ごとに専用劇場を使うものだから、さまざまな地方のコンサートホールを使った全国ツアーは不向きなのであって、新潟県民会館大ホールも舞台装置や演出が制限された状態での上演となった。それにもかかわらず、ピコとマコ(生きている少女と死んでいる少女)による種類の異なる二つのソプラノがカウンターポイントで交錯する三木たかし作曲の歌唱が素晴らしかった。主演した保坂知寿さんの音階の上がり下がりに応じて、アニメっぽい地声寄りの中低音(胸声)と透明感があって突き抜ける高音(頭声)を行ったり来たりするたびに、声区転換してファルセット(裏声)とチェストボイスを自在に反転させる、この声がひっくり返るところが感情の揺らぎと切ない跳躍を思わせた。
この2年後にある女性とふたりで「夢夢」を観劇したときに、彼女は泣いていたと思う。いいえ、泣いていませんと云うかも知れないが、泣いていたと思う。考えても見れば、ぼくにとってそのときが人生最大の幸福な瞬間だったのではないか。もっとも1998年の新潟県民会館大ホールでは、そういう感動があってもそれを云える相手もおらず、話し合える友達もいなかった。中学・高校のときの友達はそれぞれ家庭を持って、自営業を行ったり店舗を経営したりしていて、そんな趣味にかまけている暇はなさそうだった。
筆記用具に鉛筆を使ったのは、まったくのゼロから上智大学に合格するまでに何本の鉛筆を消費するのか調べてみたいという興味本位からであり、鉛筆以外の筆記用具が嫌だったわけではない。社会的ステイタス(29歳、無職、偏差値38)を考えた場合、ずいぶん呑気で余裕のある検証を行っていると云えなくもない。でも実際受験勉強とやらを始めてみると、案外「書くこと」が少なく、鉛筆はさほど消費しないものだと気が付いた。これまで勉強をする習慣もなかったので、勉強のやり方自体がよく分からない。いろいろなことをやってみて試行錯誤を繰り返した。なんとなく参考書に書いてあることをノートに書き写しているだけとか、蛍光ペンでテキストの重要そうなところをハイライトするだけとか、そういうことをやりながら、これは勉強になっていないなと自ら気が付き、改めた。自分で考えた理屈によれば、「理解する努力」「記憶する努力」「問題解決(問題を解く)する努力」のどれにも当てはまらないことは勉強にならないのである。必ず3つのカテゴリーのどれかに属することを実行しなければならないのだが、少しでも気を抜くと文章の表面を目で追っているだけとか、ぼんやり問題文を眺めているだけのような真空状態のような空白の時間が次々生まれた。勉強しているように見えても、ちっとも勉強になっていないという状況に陥らないように、気を付ける必要があった。
そう考えると、1日10時間勉強する目標を立てたとしても、純粋に「理解する努力」「記憶する努力」「問題解決する努力」だけで10時間を継続するのは、とても無理な話だった。そこで役に立ったのが、「記憶する努力」の準備作業であるところのパラメータ上げである。記憶対象の情報(英語や世界史)に対して、意図的に接触頻度を増やし、接触回数のパラメータを上昇させる。ある一定のレベルを超えてパラメータを上げるまでは、”覚えようとしてはいけない“。ただひたすら覚えなければならない情報を”覚えようとしない“ように気を付けながら、ひたすら接触回数だけを意図的に積み重ねた。
どうやって接触回数を増やすかというと、目で見るか、耳で聞くか、口に出して言うか、手を使って書くかということの選択となるが、限られた時間でいちばん効率の良い方法はどれだろうか。上智大学というと帰国子女が多いイメージがあるが、そうでなかったとしても英語が得意な人の集まりに思える。少なくとも英語に関しては英単語や英文への接触経験が非常に高い人たちが競争相手になるだろう。ぼくはそこにたった1年で追いつかなければならないのであり、速く経験値のパラメータを上昇させなければならないのだ。そのためにぼくが採用したのは「読む」「書く」「話す」「聞く」のなかの「話す」だった。「口に出して言う」ためには何かを見て発声するので「読む」ということが前提となっており、さらに発声した自分の声を「聞く」ことにもなるので、3ポイントずつパラメータが上昇する。
そうだとすると、いちばん最初にやるべきことは、口に出して言えるようにすることであり、口に出して言えるためには英語の発音記号が読める必要があった。世界史と日本史の比較では、世界史はカタカナが多く読めない漢字が少なさそう(つまり、発音するのに困らなそう)、ということで世界史選択とした。映画を観たり小説を読んだりするときに世界史の方が役に立つ、というのは後から付け足した詭弁に過ぎない。音読は「記憶する努力」のカテゴリーに含まれるので勉強していることにはなるのだが、それは作業でしかない。黙読に比べて音読は疲れるけれど、知的に疲労しない(頭を使わない)ことと精神的に負荷がかからない(覚えなければならないという重圧がない)という利点から、初期段階における勉強時間の90%以上が「記憶する努力」の準備段階であるところのパラメータ上昇作業に充てられた。
英語では記憶するべき「英単語」「英熟語」が含まれている英文が1行から数行、「英文法」「英作文」「英語構文」「語法」などでも数行、「英文解釈」「英語長文」では1頁から数頁あったが、それをことごとく10回ずつ声に出して音読した。2-3ページの英文だと1回音読するのにも時間がかかるので、今何回目を読んでいるのか分からなくなる。そこで三菱鉛筆のhi-uniがカウント用に役に立った。消しゴムの右に置いた10本の鉛筆を、1回音読するたびに左側に移動させる。いくらやっても鉛筆は消しゴム(トンボMONO)の左右移動を繰り返すばかりで、本来の消費はされず、なかなか短くならないのだった。椅子には座らず、部屋の中を行ったり来たり歩き回りながら、ひたすら音読し続けた。たとえば一つの英語長文は10回音読して終わりでもないので、1週間後にまた繰り返し、2週間後にも繰り返し、3週間後にも繰り返し・・・となるので、3週間前にやった長文と2週間前にやった長文と1週間前にやった長文とその日初めてやる長文をそれぞれ10回ずつだと、計40回の音読になる。
例文が600本ある参考書だと、1~10と101~110、201~210、301~310、401~410、501~510をそれぞれ10回音読する。次の日は、11~20、111~120、211~220、311~320、411~420、511~520をそれぞれ10回、次の日は、21~30、121~130、221~230、321~330、421~430、521~530をそれぞれ10回、・・・という具合である。10日間でその本一冊終わるので、次の10日間で1回目の復習、次の10日間で2回目の復習、次の10日間で3回目の復習・・・と進行する。それを複数の本で同時に並行して行うので、きわめて忙しくなった。声は枯れ、身体的には疲れ果てたが、頭をたいして使わないことと、単なる情報接触の作業だと割り切って覚えようとはしなかったので、気持ち的にはたいへん楽だった。おそらくこれがもっとも効率の高いパラメータ上昇で、こういうことの繰り返しを通して、英語に馴染んでいった。
予備校には行かないので「理解する努力」は、自分で行うより他にない。少しでも解説の詳しい問題集や参考書を選ぶようにして分かろうと努力したが、それでもどうしてそうなるのかさっぱり分からないことだらけだった。たとえば英文法の本には形容詞が名詞を修飾すると書いてあったが、Convenience storeはConvenienceという名詞がstoreという名詞を修飾しているように見え、なぜConvenient store(形容詞+名詞)にならないのだろうという疑問を持っても、誰も教えてくれる人はいなかった。そういうのは分からないまま放置するより他になく、やがて分かるときが来るかも知れないと気長に待った。もっとも塾や予備校に通っていたとして、講師の回答に納得がいかないこともあるだろうし、説明を聞いても理解できないこともあるだろう。なにより分からないことは次から次に大量生産されるので、どっちみち疑問解決の処理が間に合わない。
同様に「問題解決する努力」もひとりで行うより仕方がない。材料は山ほどあり、問題集や過去問に不自由はしなかったが、解決できる問題はきわめて少なかった。分からない問題だらけで、たまたま正解だったとしてもなぜそうなるのか説明できないのであれば、それは不正解と同じことだった。なぜ間違えたのかとかどうしてその答えになるのかとか、そういうことをいつまでも考えていても仕方がない。解けない問題についても同様で、いつまで考え続けてもそれは時間の無駄だった。1分で分からないものは1時間でも分からない。それでも問題を解こうとする努力自体が重要であるという立場をとるので、できたかできなかったかはさほど気にする必要がなかった。「分かろうとした」し、「解こうとした」というプロセスがあれば良いと割り切った。
過去問を材料にした場合、実際に時間を計って解いてみる(問題解決の努力)、次に採点する(このこと自体は勉強にはならない)、次に解説を読んで分かろうと努める(理解する努力)、知らなかったことを覚えようとする(記憶の努力)というふうにこの3つのカテゴリーをドライブし、1周したら時間をおいて再び同じ過去問を解いてみる。「解決」→「理解」→「記憶」、さらにそれを2週目、3週目、4週目・・・と繰り返す。分からないことと解けない問題だらけではあったものの、やがて理解できることが少しずつ増え、解ける問題も少しずつ増えていった。「記憶」に関してはその準備として接触頻度を上昇させるということしかやっていないはずなのに、意図せず、いつの間にか「すでに覚えてしまっている」ことが増え、それによって問題解決できることが増えはじめた。
野球でたとえるなら、ぼくはフィールドプレイヤーであると同時にその選手を使う監督でもあった。目の前のことを一生懸命にやるというのがプレイヤーとしての役割だが、そもそも何をやらせるべきか、どう使うべきかを考えるのが監督としての役割だった。最初に想定した通り上手くいったと思えることもあったが、思い通りに行かないことも少なからずあった。私立大学の3教科入試であっても、やらなければならないことが山ほどあって、どれだけ時間があっても足りなかった。それなのに「やるべきこと」のリストは増加の一途で、本棚には参考書が増え続けた。きわめて忙しい状態になり、三条市民プールの50mプールの10往復も急いで泳いで帰ろうとするほどの有様だった。もっとも急いだところで1km泳ぐのにかかる時間はたいして変わらなかったのだろうけれど。このときに案外時間を取られたのが、Z会の通信欄に書く文章だった。通信添削の教材は定期的に次々と問題が送られてきて、それに解答作成して送り返すのだが、その中に通信欄があってそこにコメントを書くことができた。はじめのうちは問題についての質問や感想を書くくらいだったのが、やがて自分の意見や考えを書くようになり、そのうち枠内に収まらなくなって余白まで埋め尽くすほどになった。それを書くのに相当な時間をかけるようになり、それを書くことが楽しみで通信添削教材の問題を解いていた。添削者からのコメントはあってもなくてもどちらでも良かった。自分には話したいことや書きたいこと、誰かに向かって云いたいことがこんなにあったのか、というのが発見であり驚きであった。